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郷原町の紹介


郷原町の風景

郷原町の地理

 郷原町は呉市の北東部に位置し,北は東広島市黒瀬町,東は安浦地区,南は広地区,西は昭和地区に接しています。
 また,黒瀬盆地の最南端で,南側に野呂連峰と土山・江藤山の連山,西側に大積山・一ノ松光山・ワラビノ山,北側に岩山の三方を山に囲まれ,中央部を東南から南に黒瀬川が貫流しています。
 近年、呉新世紀の丘開発構想により、工業団地、住宅団地、呉大学、グリーンヒル郷原などが開発され「産・学・住・遊」の調和のとれた”まちづくり”が進められています。

郷原町名の由来

 郷原は鎌倉時代までは黒瀬川の度々の洪水で、その流水一帯は大平原であったと言われています。
 そこに、14世紀の南北朝時代に地頭として新居氏が入って来て、黒瀬川流域を開発。
 農民たちも農業生産力が向上で自立し、地縁的に結合して一郷の惣村を作りました。
 今でも惣のつく地名が残っています。
 このように、

  1. 南北朝時代に今日の農村の原型である郷村制の惣村が作られた
  2. 地形的に平原であった・・・

 などで「郷原」と呼ぶようになったと言われています。

郷原町名の沿革 

時 代で き ご と
縄文時代郷原町字東遅越郷原遺跡より、縄文前期~後期の土器・打製石鏃(せきぞく)石匙(せきひ) スクレーパ・石錐などが出土。
弥生時代郷原町空条岩山新開で、弥生後期の磨製石器が出土。
大和時代郷原町山王川上流の一ノ松光山中腹の火神嶽に古墳後期横の横穴式石室が発見
延元この頃、新居氏郷原の岩山に城を築城。
慶安この頃「郷原惣村」誕生する。
天文23岩山の合戦(合戦は3日3晩の激戦、城主 岩見源之は字しめの松の戦場にて戦死
慶長6郷村制により、黒瀬村は分割され、賀茂郡郷原村が成立。
明治6公立小学校「隆興館」を設置
明治9「隆興館」を「隆興館郷原小学校」に改称
明治24郷原尋常小學校と改称(新堂平小學校教場→郷原簡易小學校と改称を経て)
明治33浜田橋が架橋される。
明治42神山~苗代~郷原村道開通
昭和22賀茂郡郷原村立郷原中学校創立
昭和25村立郷原保育所が開所
昭和27芋福橋(コンクリート木橋)が架橋
昭和3110月1日 賀茂郡郷原村(人口2,997人)、呉市と合併
昭和33県道郷原天応線(長谷道路)を市営バスが運行
昭和40郷原ぶどう初出荷
昭和48郷原公民館が飛垣内に新築され開所
昭和51老人ホーム「あすらや荘」が野呂山麗に開設
昭和54 呉市農業センター開設
昭和62郷原大橋渡り初め式
昭和63桑畑地区工業団地完成(昭62.3 着工)
平成6国道375号、黒瀬隧道のバイパスとして二級峡トンネル開通
平成15郷原市民センター完成
平成16動物愛護センターくれアニマルパークオープン
平成24東広島呉道路 郷原IC 供用開始