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グラフ誌 みて★くれ |
| 特集1:呉から始まるセカンドライフ |
| 転勤生活から定住へ 勝山夫妻 |
「旧海軍に憧れた者にとって 呉は特別なまちです」(夫)
「生粋の呉っ子だから、 このまちを離れられませんでした」(妻) |
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| 呉は旧海軍の名残をとどめるまち
和歌山県古座町(現串本町)出身の勝山拓さんが海上自衛官を志したのは、海を愛する気持ちからだった。かつて古座町の沖合は潮待ちする船が多く、拓さんは小さな頃から海と船を見て育った。一番の憧れは旧海軍。呉はそういった“海を愛する男たち”が結集するところだった。それゆえ、戦艦「大和」の建造ドッグ跡や入船山記念館周辺には特別の思いを感じるという。
「昔の呉には旧海軍に勤めていた年配の方も多くて、よくその頃の話を聞きました。私にとって呉は“海軍さんのまち”という印象が強いですね。また、明治期に訓練中の事故で沈んだ第6潜水艇の慰霊祭を住民の方が行っていると知り感銘を受けました。それだけ旧海軍と住民の方との絆が強いのだなと思いました」(拓さん)。
そして妻・鈴子さんとの出会いも呉だった。自衛官として赴任した呉のまちで友人に紹介されたのである。鈴子さんは家業のバッグ・小物店を切り盛りしていたため、二人は呉(晴海町)に自宅を構えることになった。
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| 現役時代は「船」がわが家
窓から海と島がすぐに見下ろせるからと気に入って建てたわが家だが、現役時代はほとんど住むことができなかった。海上自衛隊幹部という身では、赴任地が江田島、横須賀、舞鶴、佐世保、東京とめまぐるしく変わる。しかも海上自衛官にとって第一のわが家は船の上。当直はもとより、悪天候などの非常時や若手の教育のためなどで船にとどまることも多い。そのため自宅で安らぐときはほとんどなかった。退官後の2006(平成18)年4月から呉の自宅が本当の意味でのわが家となった。
「主人がここに“定住”できるようになって、新たなスタートを切ったという感じです。江田島の第1術科学校で教官をしている時でさえ、ほとんどここには帰らず江田島に詰め通しでしたから。主人にとっては、陸に上がってセカンドライフを始めるスタートラインが、この家であるといってもいいくらいです」とは、鈴子さん。海の近くの眺望に恵まれた自宅だが、台風の時には怖い思いをしたこともあるという。それでも、拓さんは海を守る任務についており、気丈にも鈴子さんがこの家を守らなくてはならなかった。
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| 海とかかわっていきたい
呉の良さは、なんといっても温暖な気候と穏やかな海だという。
「夏には孫たちを船に乗せて離れ小島へ出かけるのですが、波が穏やかなので、子どもを連れていっても安心なのがいいですね」(拓さん)。

全国の海を知っている勝山さんならではの言葉だ。同じ海でも地域によりその様相はまったく異なる。ゆったりとした穏やかな呉の海は人にも優しい海といえる。
やっと住めるようになったわが家で、二人の生活はどのように展開していくのだろうか。拓さんの胸の中には、呉に腰を落ち着けるのだから、現役の海上自衛官たちと交流してこれまでの自分の経験を伝えていきたいという気持ちがある。海とともに生きてきた男として、これからも海とのかかわりのなかで生活をしていきたいという思いも強い。そして、たまにはゴルフの腕も磨きたいし、家庭菜園にも挑戦してみたい。
「やっと一緒に暮らせるようになってうれしい」とは鈴子さん、まるで新婚夫婦のように仲睦まじい二人だった。
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